インストラクター紹介

PFLボーカル教室インストラクター MIKI

1987年、Vo.MIKI、Bass.MONK、Key.DADAにより「BON CHIC」結成。 その後、オリジナル曲を作成しながら、渋谷「TAKE OFF 7」などのライブハウスにて、月1回ライブを行い、各種オーディションに応募を続ける。 1990年、本牧アポロシアターでのオーディションで優勝し、メジャーデビュー決定。 (レコード会社:ハミングバード、所属事務所:渡辺音楽出版)シングル「EMERGENCY」、アルバム「EMERGENCY」にて、デビュー。 某ライブハウスにて、デビューイベント開催。 1991年、吉田栄作主演ドラマ「もう誰も愛さない」主題歌の日本語バージョン、シングル「とどかぬ想い」のリリース決定。同時に、同曲収録の2ndアルバム「BON CHIC II」をリリース。 また、同年の第24回有線放送大賞新人賞に選ばれる。 2011年、現メンバーのギター、ベース、ドラムスとバンドとして結成し、現在に至る。

MIKIその他の活動について

「BON CHIC」時代、作詞家として、マルシア/バースデイスーツ等に作品提供。
バックコーラスとして、浅香唯のアルバムに参加。

歌手を目指したきっかけ

アイドルになりたい!

とにかく物心ついた頃から歌ってましたからね。近所に同じ世代のの子どもがたくさんいたので、みんなを集めては「リサイタル」開いてました。(笑) その頃の歌謡曲をよく歌っていて、結構人から褒められることが多かったんで、それがだんだん自信につながったんでしょうね。 「スター誕生」などのオーディション番組もずっと観ていたので、10代の頃は漠然と「アイドルになりたい!」って思っていました。 秘かにオーディションに応募したりもしましたが、ただウチは両親がとても厳しかったもので、一次審査通過の連絡が来ただけで"鬼"のように怒られて、 結局いつも断念していましたけど・・・それでもやっぱり高校・専門学校時代も、ホームルームや謝恩会などで歌わされたりと、アイドル気分は続いてましたね。(笑)

20歳になって三菱商事に就職しまして、順風満帆なOL生活が始まったんですけど、やっぱりそこでも「歌好き」は治まらず・・・入社1年目にして全社内カラオケ大会で優勝!それがあっという間に社内に広がって「ウチのバンドでボーカルやらない?」っていうお誘いをたくさんいただくようになり、 ここで初めて「ボーカル」というものに目覚めた訳です。20歳過ぎてからですよ、バンドをやり始めたの。歌は10代のころからやってましたけど。珍しいくらい遅いですよね・・・(笑)

で、最初は当然コピーバンドからスタートして、しばらくは知り合いの結婚式で演奏したり楽しくやっていたんですが・・・ だんだんそれだけでは満足できなくなってきちゃったんです。 やはり商社マンの趣味バンドだから、時間的にもレベル的にも不満を感じるようになり、生意気にも「もっと本格的にバンド活動したい!!」って思ってしまいました。

ただ困ったのはそこからですよね。本格的に・・・って言っても、右も左もわからない。 その頃はネットも普及してない時代ですから、情報収集もできないし、とりあえず都内の楽器屋さんやライブハウスなどに行って「ボーカル探してませんか?」って 聞きまわりました。今から思うと無謀ですよね~ で、そうこうしてるうちに、「音楽雑誌のメンバー募集欄に載せたら?」というアドバイスをもらって、早速「Player」という雑誌に 「カッコ良くてセクシーなボーカルやります!」な~んて載せちゃったんですよ。 考えてみたら、これが今でもこだわっている私のコンセプト「COOL & SEXY」の原点ですかね・・・(笑) そうしたら思った以上に反響があって、「是非ウチのバンドで歌ってください!」という封書が30通くらい来たんです。

そこから面接みたいな形で何人かに会って、その中に「BON CHIC」のリーダー"MONK"がいました。 元々彼らはギター・ベース・キーボードの男3人編成で活動していて、MONKがボーカルをやっていたのですが、女性ボーカルを入れたくて連絡をくれたみたいです。 早速デモテープをもらったんですけど、今まで会った人たちとは明らかにレベルが違って、かなり完成度も高く、しかもプロ志望! リハに入って、向こうも私の歌を気に入ってくれたので、一緒に組むことになりました。

メジャーデビュー決定

私が入った時にはすでに彼らのライブが決まっていて、リハも始まっていました。 そこで、せっかくだから私も出演しないかという話になったんですが、もうある程度3人で完成されていたし、ましてやオリジナル曲は間に合わないし・・・結局、彼らのライブに私が3曲だけゲスト出演という形になりました。 3曲ともマドンナのコピーで出演したんですが、それが私の人生初ライブですね。 しかもそのライブ、なんと高円寺だったんですよ!奇遇ですよね。今思うとビックリです。(笑)

ファーストライブ終了後、いきなりどこかの事務所の方から「是非オリジナル曲も聴いてみたい」と名刺を渡され、 まだ若かったし「最初のライブでいきなりスカウト??」みたいな感じで、当然みんなで有頂天になってしまって・・・そこからはもう、プロになりたい一心でしたね。 その後、ギターが抜けて、ボーカル・ベース・キーボードの「BON CHIC」結成です。

まずは当然、オリジナル曲作りから。当時まだ私は、作詞も作曲もできなかったので、2人が作る曲を歌うだけでした。 ライブができるようになるまで、しばらくはひたすら曲を作ってデモテープを作ってという地道な作業。 デモテープができると、ライブハウスに送って、徐々に出演依頼を受けるようになり、ここから本格的にライブ活動開始です。 それと同時に、オーディションにも片っぱしから応募しました。どれに応募したか覚えてないほどです。 最初のうちは全くかすりもせず(笑)、片っぱしから落ちてましたけどね。 審査員にいろいろ"ボロクソ"言われるんですよ。 しかも「コンセプトが弱い」とか、どうすればいいのかわからないような指摘ばかりで、結構こたえました~(笑)ちょうど「イカ天」に出たのもその頃だったので、当然残念な結果になりましたけど。 そんな状況でもやはり「絶対プロになってやる!」という気持ちだけは、なくなりませんでしたね。3人とも!ライブ活動は「最低月一回、必ず新曲1曲」とノルマを決めて、曲作りでも、いかにオーディションに引っかかるようにするかを研究したり。 毎回ライブ映像を撮っては、自分たちのステージングもチェックする・・・というように、かなり真剣でしたね。

そうしてるうちに、なんとなくですけど、自分たちの方向性が見えてきた時期があったんです。「これかな?」みたいな。 そうすると面白いことに、オーディションにも引っかかり始めたんですよね。 どんなオーディションでも、まず一次審査で落ちることはなくなって、必ずライブ審査まで行くようになり、そのうち決勝大会あたりまで残ることも多くなりました。 この頃ですね・・・「このまま行けば、きっとプロになれる!」って確信したのは。

そして運命の、今は無き「マイカル本牧アポロシアター」でのオーディション出演です。 そのオーディションは、本場のアポロシアターさながら、「ステージがつまらなければお客さんがブーイングして演奏途中でも退場、良かったら最後まで演奏できる。 しかも優勝すればメジャーデビュー!」という、なんとも恐ろしいものだったんですが、無謀にも出演することにしたんです。 もう完全にダメもとで、度胸だめしみたいな感覚でした。 おそらく、それくらい力が抜けてたのが良かったんでしょうね・・・なんと優勝してしまったんです!!イコール、メジャーデビュー決定ですよ。今だに信じられませんけど・・・ ただ、その時はまだ三菱商事でOLをしていたので(笑)、会社を辞めて、親とバトルして・・・といろいろ大変でしたが、せっかく掴んだ夢を諦める訳はなく、 そのまま突き進みました。

歌(音楽)って何?

私にとって"歌"は、「人生になくてはならないもの、自分の生きる意味」だと思っています。

BON CHICでデビューしたあと何年か活動しましたが、やはり思うように売れなくなって事務所との契約も切れ、 それでもなんとかまた1から立て直そうとしたけれども、もがけばもがくほどうまくいかず、結局BON CHICも自然消滅・・・あの頃はもう何もかもがイヤになって、あれだけ大好きだった歌も、全然楽しくなくなってしまったんです。 「もう2度と歌わない!」と、すべてを捨てました。 それからは音楽を聴くことさえ苦痛になってしまい、結局10年間、音楽とは無縁の生活をしていましたね。

そしてそこから、歌以上の生き甲斐を見つけようと、"自分探し"が始まった訳です。 しかしもうその頃は30歳を過ぎていたので、何を始めるにしても年齢制限が邪魔をするんですよね(笑)。 それでもなんとか面接をクリアして、ウエイトレス、販売員、派遣社員、エステティシャン、WEBデザイナーなど、やってみたいと思ったことはほとんどやりました。 当然周りは若い人ばかりです。 ただトシのせいにはしたくないので、すべて必死にやっていました。なんとか歌以上のものを見つけるために・・・

でも結局、見つからなかったんです・・・ どの仕事もある程度のレベルまでは到達するんですが、やっぱり歌ってた頃の「心の充実感」を得ることができなくて、なんとうつ病になってしまったんです。 もちろん原因はそれだけではないと思いますが、仕事はもちろん、普通の生活さえもままならないほどになってしまい、1年ほど寝たきりになってしまいました。 あの時の苦しみは、今でも忘れられないですね・・・ その後、家族や周りの人たちのサポートのおかげでなんとか少しずつ楽になってきて、まだ身体は動かない中、頭のどこかで「このままじゃいけない!」 「このまま人生を終わりにしたくない!!」と、切実に思ったんです。

そこで、「やっぱり私には歌しかない!」と確信しました。 10年間いろいろ探し続けてみたけれども、結局、歌以上のものは見つからなかった・・・けれど、その10年間は決してムダではなかったんです。それがなければ、歌の素晴らしさを再確認することはできなかったですから。 一度は捨ててしまいましたが、再び歌の世界に戻ってきて、今はまた昔とは違う充実感を味わっています。 けっきょく一回やめたことがよかったんですよね そこでほんとに歌い方忘れちゃってたので一回またやり直して基本からやり直していったので 前より全然しっかりしてるし、たぶん昔の歌い方で今のバンドは絶対喉つぶして歌えなかったと思う たぶん歌い方が確立できたんで、この歳まで歌い続けられてるのかなーってすごい実感してます だからそれをほんとに一番教えたい。 いくつになっても声って出るものだし、逆に鍛えてないとどんどん衰えるってことはくるとみんな実感するので! 若い頃はただ「上手く歌いたい」という想いだけでしたが、こうして様々な経験を積んできた今は、「教える喜び」「伝える喜び」も加わって、 ますます私の人生になくてはならないものになっていると思います。

歌を上手に歌うってことはものすごく大変なことで、ゴールがないんですよね。 で、たまたま上手に歌えたなーって思ってもいつ喉壊すか分からない ちょっと体のちょっと異常があるだけで声が出ない、ベストの声が出ない。 1日でも休むと、やっぱりだめなんですね やっぱり戻っちゃうんですよ、微妙に違うんですよ。 かと言ってやりすぎちゃうとだめで、そのころあいがいまだによくわからない。 毎日ベストの声を出すためだけに私は生きてるんですけど(笑) それをいつも考えてるからめちゃくちゃきついですけど、それをやっぱりステージで満足いく歌が歌えた時の喜びは何にも代えられないですね。 歌が歌えるから生きていられる・・・と言っても過言ではないかもしれませんね。

向上心を常にもつ

どん底にいた時、とりあえず歌おうと思って歌い始めたら十何年ブランクがあったのでまったく声が出なくて。ほんとにもう自分でも毎日泣くぐらい。 私の唯一の取柄だったのにそれもダメかと思って、どん底の状態を少しでも良くするために歌を選んだのにその時は歌でもダメだったんです。 だからほんとにもう私人生終わりかもしれないと思いました。

ただでもそのときあきらめないでボイトレ始めようと思って探してたんですけど、ボイトレお金払って習うんだったら自分でとっちゃったほうがいいじゃんと思ったんで、そっちのほうでインストラクター募集っていうのを探してそれを受けて・・・。

資格を取ってから、成増のボーカル教室をまかされることになりました。 もちろん教えるのは初めてなので、自分でもいろいろ調べながらやるようになって...。 1時間一人の生徒を教えるわけだから、毎回同じことをやるわけにもいかないし、それでやっぱ向上心も出てきて、教え方と同時に自分の歌も上昇してきました。 昔とはまた違った歌い方を発見することができたし、基本的なところをやることによって自分の歌も生まれ変わったっていう部分もあって。自分のモチベーションを保ってるのかなって思います。

オーナーにも認められるようになって、自分の中でもある程度私の教え方を確立できるようになってきたので、スクールを立ち上げました。

つねに向上心をもって新しいことをやっていたい

当時私が前のバンドの人と二人でキーボードでやっていたので全然つまんなそうに見えてて、いいベースがいるよって言われて出会いました。 お互い最初は全然そんな気じゃなかったけど昔プロでやってた人だったので、いろいろ人脈もあって、私の歌も気に入ってくれて、じゃあ俺たちがなんとかしてやるよってなってって感じですね。

(江幡さん)
歌を気に入るというのは、うまいっていうのは大前提で、歌いまわしとか、声が自分で気に入るかとか。カラオケの上手いではない上手さとか。 声量から、バンドでライブでドーン音楽流してカラオケ超うまいだけの人じゃまぁ聞こえない。 何言ってるかわからない、聞こえてもがなってて何言ってるのか聞き取れないとかね。 教室に来てレッスンを受けてみてくれなきゃこれはわからないですね。 若い子も今いっぱいバンドをやってるけど全然もう根本が違う。 もうバンドでがーんって音出しても、声が通って、価値が伝わって、なおかつ声が気に入るかっていうのが大事です。 今のこのメンバー(Peach Flavor Lips)はギターが違うので自分たちでオーディションして決めました。

向上心を持ち続けるロールモデル マドンナ

マドンナは見た目、顔もすきスタイルも好き歌もすき楽曲も好き! 今のアーティストたちってすべてビジュアルも完璧な人って私いないと思ってるんですね ただ、真ん中でギターだけ引いてる人って私全然魅力に感じなくて やっぱりエンターテイメントがあって、衣装とかもすべて構成とかもトータル的に見せてくれないと 満足しないんですけど、それがやっぱりマドンナは一番。 顔も好み、スタイルも好み、レディーガガはまた違う それが全部はまってる。完璧です。 見て楽しい、楽曲も素晴らしい、つねに新しいことをやってる。 つねに向上心をもって若い

PFLボーカル教室

スクールをやってよかったこと

労力を使うし神経も倍以上使うので、大変は大変なんですけど、ここ来る人って私の教え方を100パーセント信じてきてくれて、それが伝わってずっと通ってきてくれてる方がいるので、それを伝えられた時の喜びとか、実際生徒さんの声が変わったときとか。

一人で海外行っちゃった人とかね。

とりあえず覇気がない、引っ込み思案だったのが声が出るようになったらすごく楽しくなっちゃって、一人でインドに旅行に行ってきます、3か月間とか(笑) 今度私派遣で働くことになりましたとか(笑) すべてがいい風に向かってますとかね(笑)

そういうこと言ってくれた子って一人や二人じゃないんですよ。 そこまで変えることができてるっていうことがやっぱり自信にもなってきますし。 でも教えることによって自分もどんどん歌もですけどそれ以外もどんどん向上していってるのがわかりますし、相乗効果で上がってるのかこういいのかなって思ってます。

本物のボーカル教室を目指して

息もはけない、声も出せない、1曲も歌えない生徒さんが多いです でもカラオケはいなかきゃいけないし、いい加減断れないしどうしようっていう生徒さんが圧倒的に多くて、 そういう人でもやっぱり歌えるようになるっていうのが一番の魅力なんじゃないですかね。 今までカラオケ断ってた人が今では逆に誘っていってますとか、カラオケブースつくっちゃいましたとかね(笑)

声出したいけど、自宅で声出せないからブースつくりましたみたいな(笑) ただ単純に歌を歌うっていうところに対して、教室が目指すところにはその先のものがあります。これが本当の歌い方だ!って。汗だくになってあー声でたーってなってカラオケにいってるよ(笑)

あとほかの教室って声を出すとかじゃないんですよね、教え方が。 いきなり、今の声であーあーあーあーあーってやるだけなんですよ、それって絶対うまくならないんですよ。 どうやったらこの声を無理なく音域あげられるかとか、音程とれるかとか。 音程とりかたにもいろいろある。コツってやっぱりあるんですよ。 あーだのいーだのやったって全然お話にならないので。 もちろん、ほかに行ってた人はほかとそこが違うっていうふうに言ってくれますし。 だれも声を作ろうとしてくれなかった、ひっかかって声が裏返ってしまったらそのままでレッスンを受けていて、あ、わたしってこういう声なんだなって思ってたって(笑) あきらめてたって。 あとはずっと裏声でしか歌ったことがなかった。何歌ってもダメで。 あ、私でも地声で歌えるんだとか。

あとは一緒に歌ってくれる先生っていうのが皆無らしい。 ピアノだけでここが違うとか、この音だとかはいうんだけど、 ちゃんと一緒に歌ってくれてこう歌うんですよっていう先生はまったくいないらしいです。

どんな曲をもってきても自分で絶対ちゃんと覚えて歌ってあげないと声のボリュームとかがわからないんですよ。 私がちゃんと隣で歌ってあげないとCDで流してる音と、私が隣で歌ってると、あ、こんな出していいんだってなるんだよね、これぐらい出すんだよ声ってって。 実際教えないとわからないことなんですよね。 それはお話です、それは歌じゃないですよって。

PFLボーカル教室の夢

やっぱイベントをもっとだいだい的に最終的にやっていきたいです! 今ずっと同じライブハウスでちょっとパターン化してきたかなーと多少思っているので。 ま、それはそれはいいんですけど、生徒さんも変わるので。 でももっと、ステージの幅も広がったりとかホールでできるようになったりとか 2DAYSとか、そんなのも(笑) やっぱなんか目標がないとみんなもやっていけないと思うので、それが大きいほどもえるとおもうので、そこをもっと成功していけばいいかなと思ってますね。

Peach Flavor Lips

Peach Flavor Lipsの魅力って何ですか?

PEACH

年寄りの若者に負けないパワー(笑)それがまず第一(笑) メロディーのない曲ばっかりに今なっちゃってる世界に、デビューとか売れようってことを目的に今の楽曲を作らずに、わざと昔の歌謡曲のメロディーにそのころ流行ってたロックをのせてるんで、すごく歌がメインのメロディアスなロック。 今絶対流行んないんだけどそこがうりですね(笑)

MIKI

あたしはとにかくメロディーがよくないと絶対やだし、自分で歌うんだったら絶対メロディーが主体なのでそこは譲れない。 で、自分でメロディー作ってるんですけど、うん、そゆのを全部出すと納得してもらってる・・・のかな?(笑)

PEACH

うん、でも、みんなバックバンドとかをやってた人間だったので、メロディーがくると、そのメロディーに合わせて自分が何かしようと思うんですけど、今の打ち込みだーああいうのって、楽曲に文字をはめ込んでるだけなんだよね。 それがないっていうのが全員一致してたから、みんなバラバラなんだけどやったらそうなっちゃったみたいな(笑)

MIKI

逆に今の曲を作って言われても作れないかもしれないね。 メロディーが、ほんとに伴奏だけみたいなイメージなんです、ほんとに私は(笑) で、しかも今の曲はしゃべってるようにしか聞こえないんです。 伴奏で何かしゃべってるっていう曲ばっかりのイメージなんですね。 それって私にとってまってたく音楽じゃないし、なんの魅力もないので、あえてこういうかたちをやってるんですけどね。 ただ今のが流行ってる若者とかにはうちらのほうが理解されないですよね。

昔はいい曲あったよねっていうことですよ(笑)

これからのPFLの未来ってどういうことが一番ハッピーですか?

PEACH

一番ハッピーはホールでワンマンライブ、満員で! っていうのが目標ではあるんですけどとんでもない長いゆめなんですよね。まだまだね。

MIKI

今活動ができないのでー、みんな忙しくて。 そうなると売れようと思ったら地道に活動しなきゃダメなんですけど...。 ただ、いい曲作ってる自負はあるので、なんとか世に広めないとっていうのはありますけどねぇ。

PEACH

あと5年くらい経つと定年にみんな近づいてくるので、少しは暇になるかなって

MIKI

そのときまで私声出るかなって(笑) もうしんどいっしょ(笑)

MIKIさんにとってのPFLの魅力は?

MIKI

やっぱり、私の歌と楽曲を理解してくれるっていうところと、レベルがそこそこ高いですから、ちゃんと言えばかえってきます。 こういうことがやりたいっていうとちゃんとかえってきます。 やっぱりそれは若者とやるとできないだろうなって。 で満足できる状態で歌わせてくれる、でちゃんとわかってくれる。 邪魔をしないで、でもちゃんとかっこよく、存在感を出しつつ邪魔をしないっていうのはやっぱりある程度レベルがないとできないことだとは思うのでそれを満たしてくれるところだと思います。

バンドのよさって何ですか、PFLに限らず。バンドであるってこと

PEACH

うーんと、そうですねぇ・・・ 自分のできない楽器を弾いてくれるっていう意味ですねぇ、

MIKI

自分一人でできないことを仲間と一緒にできるってことですね。 私も一人では絶対もってる曲をかたちにすることはできないのでこのメンバーがいないと今の歌は歌えない。

素人になっちゃうんですけど、メンバーが変わったら全然変わっちゃうんですか?

MIKI

変わります。

PEACH

そしたらもう終わりですね。 だれか一人やめたら、もう違う名前。 今までの楽曲は一回おしまいで、ゼロから。 今のメンバーだからできることだから。

PEACH

そうそうそう。 けっきょくそこがバンドの楽しいとこ。

MIKI

結局替えがないってことですねぇ。 まぁ世の中にはメンバーがよく変わってるとこもありますけどねぇ。

PEACH

だからそういうのはダメなんだよ か、変えたらデビューさせてやるよーで変えてるか。

MIKI

それか、変えても大して差がないぐらいのレベルなのかなって思っちゃう。

PEACH

あとさっきの打ち込みなんかだと誰か一人がつくって、それに合わせてバックバンドするだけなんで、だからそれはバンドって出てますけどバンドじゃないよねっていう。

だからうちのバンドは作詞はMIKIで作曲はPFLって感じ。 どの曲でも誰が何しようが。ほんとはメロディー考えた人が作曲なんだけど、それもだからこのメンバーでこのメロディができたんでしょ、ていう理屈。こっちからすれば。

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